立山カルデラと砂防
立山カルデラは、晴れた日に富山市内からも、雄山と薬師岳の鞍部にさびた鉄なべのような荒々しさで容易に見られます。150年前の安政大地震で鳶山4億立方メートルが崩落し、大土石流となって富山の町を直撃しました。市内のいたち川沿いに多い地蔵尊は、犠牲者の供養ともいわれています。いまも半分の2億立方メートルが残り、豪雨や大地震でいつ大災害をもたらすか危険な場所です。市議会の観光振興議連会員14名で立山カルデラを現地視察しました。(写真/立山カルデラの全貌、奥の山肌はトンビ崩れ)
百年続く大事業
この見学を企画したのは、観光としてでなく、富山平野の現在の暮らしは、百年来の砂防事業のお陰であり、安全・安心の事業現場をジカに確かめること、と折りしも、立山・黒部地域の世界文化遺産登録に向けて、砂防・電源開発・立山信仰の三本柱にカルデラ事業が位置づけられ、防災事業が注目されていること、が理由です。
困難を極めた立山砂防
富山県の歴代知事は、まさに暴れ川との苦闘でした。その最たるものは、常願寺川であり、トンビ崩れ対策です。明治時代は県営でしたが、規模が県の限界を越え、大正15年に国の直轄事業として本格化します。
初代赤木正雄所長は、膨大な土砂をカルデラ出口の白岩砂防えん堤で押さえ込む、という砂防計画の骨格を決め、現在も続けられています。
赤木所長の事績は「砂防の父」と賞賛され、サボウは世界の共通語です。
世界文化遺産登録の意義
立山は、過去は信仰の山として、現在は観光の山と見られがちですが、常願寺川の上流は世界でも有数の崩壊地帯です。その対策を怠れば、富山市民の生活の安全が保障されません。
日本海側での地震が多発していますが、安政地震を引き起こした跡津川断層は今も活動しています。営々と築いてきた砂防施設は、昭44の集中豪雨にも富山平野を守ってくれました。要所の監視カメラの設置など情報収集も全国の先進地となっています。
えん提設置後のミドリの修復作業も左の写真のように各所で実施され、ミドリで覆われつつあります。この度の世界文化遺産登録の申請は、全国一の砂防の発信地・立山カルデラ事業の意義を、より多くの人に理解してもらい、防災意識を高める機会にしなければなりません。(写真/白岩砂防えん堤)
投稿者 松本弘行 : 2007年08月11日 10:45