個性あるまちづくり
東京の出張ついでに、川越市と秩父市を訪れました。
いまでは、「蔵の町川越」と「秩父夜まつり」で全国に知られています。川越市の景観づくりと蚕都秩父の新しい町おこしを探るのが目的でした。かって個人で訪ねていますが、今回は両市とも議長として丁重な対応をしていただき、役職のありがたさを痛感しました。
古い町並み保存
川越市は、江戸近郊の物資供給地として栄え、今でも小江戸と呼ばれている商都です。駅と中心部が離れているため駅周辺や郊外に商業があつまり、中心部が衰退するという富山市と同じ悩みをかかえていました。明治の大火後、耐火建築に蔵造りを取り入れたことも戦後の都市計画をはばむ一因になっていました。
昭和60年代、「なぜ人がこない」とせっぱ詰まった商店主が、逆に蔵造り保存による町おこしにうごき、地域全体を保存地区とする伝建指定や都市計画道路の変更など、悪戦苦闘しながらもここに至ったようです。
保存の難しさ
平日でしたが、レトロを楽しむ観光客があふれ、年間来訪者400万人と呼ばれる活気がありました。土蔵型の家屋は、商売も生活もしづらいだけに家並み保存は上からの強制ではうまくゆきません。地域住民からの発意と全体の合意へ向けた努力が不可欠です。
富山ライトレールの終点岩瀬では、北前船主の家屋が残り、市が主導して保存と電柱の地中化など通りの修景が急ピッチで進んでいます。
大切なことは、単にうわべを整えることではなく、住むひとが古い家並みのもつ意味を理解し、なにが町を活気づかせるかを議論する必要があります。川越は崖っぷちから20数年かけても、いまだ進化を続けています。時間をかけた醸成が必要です。
カイコで潤った町
荒川の上流、秩父盆地はかっての八尾と同じく、全国でも指折りの養蚕の中心地でした。明治の秩父事件は、政府のデフレ政策と生糸相場の大暴落で困窮した養蚕農家の暴動でした。いまでも秩父銘仙は愛好家に知られていますが、すでに過去のものといえます。
長く町の財政を支えたセメント産業も長引く不況で、地場のチチブセメントは合併を余儀なくされました。産業は時代とともに変化し、町勢にも大きく関わります。
新しい魅力の演出
日本三大曳山といわれる秩父夜祭りは、2日間で30万前後の人であふれます。過去に栄えた町は勢いの象徴として立派な曳山が残り、祭りを盛り立てて町をPRしています。
いまの秩父市は、過去の文化遺産と豊かな自然を売りものにした大東京近郊の「癒しの里」として変わりつつあるようです。祭り、秩父札所めぐり、芝桜の丘をはじめ四季折々の自然景観、特色ある味覚など新しい魅力のアピールに必死の努力を感じました。
呼び込むこと
両市とも商店主には、観光の一見客はあてにならないとわが富山同様、観光自体を低く見ていました。しかし、観光客が絶え間なく来ると商売がなりたつと思い始めたそうです。
川越祭りや秩父夜祭りなど歴史ある祭礼は、準備に時間がかかり中心になる商業者自らが町の将来を真剣に考えたこと、呼び込みの目玉には他の二番煎じでなく「場が持つ力」を引き出した特色のあるものであること、が両市に共通しています。観光振興の要点です。
富山市も7年後の新幹線後を見据えて個性あるまちづくりが、いま始まっています。
投稿者 松本弘行 : 2007年02月20日 09:00