鉄道の存廃
地方にとって鉄道で関西や関東とつながることは、地域をゆるがす大事件でした。
富山も例外でなく、約100年前(1900)に北陸本線が西から開通し、大正2年(1913)には直江津につながることで東京への道が開けました。いずれも記念して共進会(博覧会)を開催し、前者の会場・太郎丸に旧制富山中学校、後者の堀川には県立女子師範の前身が移転したことはよく知られています。なかでも首都への直結は悲願であり、一府八県が参加した共進会の動員数は当時の県人口を上回り、駅から会場まで北陸で最初の市内電車は大きな話題を呼んだと伝えられています。街はそれを軸に南部が発展しました。
首都圏への連絡をきっかけとして、モノとヒトの流れが水運から陸運へ、農業から商工業県へ、県都富山市は流通の拠点として都市の近代化が加速して行きます。
新幹線開通に向けて
北陸新幹線が8年後(2014)に開通すれば、奇しくも東京への開通から1世紀、まさに100年に一度という都市の地殻変動が起こっています。その代表は、都市の中心軸がかっての市電通りから国道41号に移り、新幹線乗り入れで富山駅が高架になれば、開通後は駅周辺に商業と中心機能が集まることが予想されます。
いま富山市は、中心部の居住性をたかめ中心市街地としての再生に全力を上げています。問題は、拡大した中心地域の中にある二つの核に対しどのような性格づけをするか、が焦点になってきました。駅高架化で先んじた金沢市でも三極化が深刻な問題になっています。
幸い富山市はライトレールを延長して旧市電の環状線を復活するという構想は、二極の回遊に効果が大と思われます。それだけに独自性のある富山の街づくりが強く求められます。
神岡鉄道の廃止
新幹線開通と路面電車の復活に期待がかかる反面、神岡鉄道は11月末で40年余りの幕を閉じました。本来、神岡鉱山の貨物輸送という特殊事情があったにせよ、建設にかけた莫大な投資を思えば、直ちにレール撤去は早計な感じがします。
地元、神岡地区でも存廃は大きな政治争点らしく、閉会式には私も招待され「ライトレールのまちづくり」の講演の後で「無責任なことはいえませんが、富山との過去の歴史と現在のつながりを強化するためにも、何とか神岡鉱業の協力と地元の熱意を結集して鉄路を残す道を探って頂きたい」という趣旨の短いスピーチをしました。
飛越は共同体
飛騨(市)と越中富山(市)は古来、神通川で結ばれ経済的にも深いつながりがあります。いまや、大雨ごとに問題化する流木騒ぎは、上流の飛騨市との連携なくして解決はできません。
富山・高山高規格道路とは、高速自動車道に準じるもので早期建設が望まれますが、残念ながら来年開通する東海北陸自動車道に大きく遅れをとっています。
神岡鉄道は、人のアシとしての役割をとっくに終えていますが、北陸新幹線開通まで観光鉄道なりで持ちこたえれば、新しい展望が見えるかもしれません。
在来線と新交通体系づくり
JR北陸本線の在来線第三セクター化は国の方針であり、あわせてJR西日本の富山・猪谷間を含む県内公共交通体系の見直しは必須です。その時点まで神岡鉄道が鉄道施設として存続しているなら、飛越共同体の観点から検討されるべきです。富山県議会、市議会でも話題になってきました。鉄道の存廃は、時代が変わっても地域にとって大事件なのです。
投稿者 松本弘行 : 2006年12月08日 18:20